望遠鏡による観測の時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 03:00 UTC 版)
土星の環を観察するには、少なくとも15mm口径の望遠鏡が必要で、1610年にガリレオ・ガリレイが試みるまでその存在は知られていなかった。観察した様子からガリレオは2つの衛星が土星の脇に見えているとしたが、この考えは、クリスティアーン・ホイヘンスがより高性能の望遠鏡で倍率を上げ行った観察で否定された。ホイヘンスは衛星タイタンを発見し、後にジョヴァンニ・カッシーニが1675年に衛星イアペトゥス、レア、テティス、ディオネを相次いで発見し、さらに見つけた環の間隙には彼の名が冠された。 1789年、ウィリアム・ハーシェルによってより遠方の衛星ミマスとエンケラドゥスの発見という重要な偉業がなされた。タイタンと軌道共鳴する異形の衛星ヒペリオンは1848年にイギリスのチームが発見した。 1899年にウィリアム・ヘンリー・ピッカリングが発見した衛星フェーベは典型的な不規則衛星で、大きな衛星に見られる自転と公転の同期状態に無かった。フェーベはこのような種類としては初めて発見された衛星で、一年以上の周期で逆行軌道を取る。20世紀前半に進んだ研究を経て、1944年にタイタンが濃い大気を持つ太陽系の衛星では珍しい特徴を持つ事が分かった。
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