月おぼろ実は…のあとが聞きとれぬ
作 者 |
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季 語 |
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季 節 |
春 |
出 典 |
たましいの話 |
前 書 |
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評 言 |
何となく、女性の前に立つ気恥ずかしそうな男性を思い出す。若しくは思い切って女性が告白したのだろうか。この一句で様々なドラマが展開されて面白い。昼メロ・連ドラ・刑事モノ…。この作家にはいつも問いと答えとそれに追随するドラマがある。「夕桜あやうくハイと言いそうに」同じ句集に点在する相聞句は読むのも探すのも楽しい。 「はこべらやこころごろごろややこしい」「少しなら要らぬよ情も散る花も」全く別に書かれた二つの俳句を並べてみると、まるで同時期に書かれた問いと答えのようであり、日常によくあるドラマのようでもあり、読者を惹きつけて止まない。そして「日あまねし紅梅の蕊長く永く」人間はいつも何か心に想うものを持って生きているのを思い知らされる。 読み手が詠み手に誘われ、いつの間にか詠み手の側に立って物を見ている。池田澄子という作家の魔法である。難しい言葉は何も無い、ふっと優しくその世界に取り込まれてしまうのが池田澄子の俳句であろう。 じゃんけんで負けて蛍に生まれたの 『空の庭』 ピーマン切って中を明るくしてあげた 『空の庭』 俳句の世界で迷子になりかけていた時、私はこの作品に出会った。簡単な言葉は何よりも人を優しく包むのだと、俳句の再発見をさせてくれた作品だ。 いつしか人に生まれていたわ アナタも? 『いつしか人に生まれて』 幸か不幸か、思わず「ハイ、そうです」と答えてしまう。 池田澄子とは、他者に向かって語りかけ、他者の心を素直にさらけ出させてしまう不思議な作家であり、その息遣いを離さない作品を生み続けている作家である。 |
評 者 |
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備 考 |
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