最速のティークリッパー論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/31 02:59 UTC 版)
「サーモピレー」の記事における「最速のティークリッパー論」の解説
サーモピレーとカティーサークがティークリッパーとして活動できた期間は短かったが、同一航路における航海の記録を比較すると、1871年はサーモピレーの105日に対してカティーサークは110日、1872年は115日対122日、1873年は100日対117日、1875年は112日対123日(以上・上海ロンドン航路)であり、終始サーモピレーはカティーサークに対して優勢であった。同一航路でサーモピレーが、カティーサークに対して後れをとったのは、1876年の福州・ロンドン航路の118日対109日だけである。 この実績故に、「サーモピレーこそ最速のティークリッパーである」という主張も根強い。また、両船の速度差を、船の性能差ではなく、天才肌のサーモピレー船長ケムボールと、堅実なカティーサーク船長ムーディーの、性格の違いに求める向きもある。ライバル視されるサーモピレーとカティーサークでありながら、実際に同じ時期に同じ航路を走ったのは1872年の1回きりであり、直接的な競争になったのもその1回きりのため、余計に議論は膨らむ。 この種の議論には、スコットランド・アバディーンを代表するサーモピレーと、イングランド・ロンドンを代表するカティーサークとの“地域対決”という側面もあり、英国流のいわゆる「パブ談義」の格好の題材になってきた。もっとも、この2隻は、どちらもスコットランドで建造され、サーモピレーの設計はイングランドのロンドン、カティーサークの設計はスコットランドのグラスゴーである。
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