最初のミュール紡績機
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 01:53 UTC 版)
「ミュール紡績機」の記事における「最初のミュール紡績機」の解説
1779年、サミュエル・クロンプトンはアークライト紡績機の欠点をジェニー紡績機の仕組みで補おうとした新しい機械「ミュール紡績機」、別名「ジェニーミュール」を発明した。「ミュール」は英語でウマとロバの合いの子、ラバを意味する。この機械が2つの機械の合いの子であることから名付けられた。 下部中央に2輪の部品「キャリッジ(走錘車)」があり、そこにスピンドル(糸の巻取部)が設置されている。キャリッジはレールを移動しながら粗糸を引き伸ばし、同時に撚りをかけていく(加撚)。引き伸ばしながら撚りをかけるため、糸の断面は丸みを帯びた形状となる。キャリッジがレールの端まで移動し終わると、加撚が終わった糸をスピンドルに巻き取りながら、キャリッジは元の位置に戻っていく。クリンプトンはこの装置を木で作った。ジェニー紡績機との最大の違いは、スピンドルを移動させたことである。キャリッジが糸を引き伸ばし撚る方向に進む工程を「外走(outward traverse)」、スピンドルに糸を巻き取る方向に進む工程を「内走(inward traverse)」と呼んでいる。なお、動力は(最初期には)手動である。そのため、手動ミュール紡績機(ハンドミュール)とも呼ばれる。この装置は内走工程の調整にベテランの技術が必要であった。また、一人が同時に運転できるのは264~288錘だった。 この装置で作った糸は強く細いので、さまざまな織物に使うことができた。特に木綿の糸を作るのに使われた。 クロンプトンはこの発明の特許をとれなかった。クロンプトンは発明の権利をダビッド・デール(英語版)に売り、デールが装置を改良して特許をとった。
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