最初のベネディクト会修道院(8世紀から955年)
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「ヴェッソブルン」の記事における「最初のベネディクト会修道院(8世紀から955年)」の解説
おそらく実際には、この修道院は8世紀後半にロット出身の貴族家によって、領主の私的な修道院として創設されたと推測されている。ベネディクトボイエルン修道院の伝統に基づき、最初の25人の修道士はベネディクトボイエルンから移ってきた者達であった。ベネディクト会修道士達は周辺の森林地域を耕作可能な土地に変えていった。集落名のヴェッソブルン(885年には「Uuezinesprunnin」と表記されている。「ヴェッツォの泉」を意味する)は元々耕牧地の名前であったが、やがて修道院の名前として使われるようになった。 タッシロ3世が皇帝カール大帝によって廃位させられると、788年にヴェッソブルンはカロリング朝の帝国修道院となった。817年にはまだ貧しい修道院であり、出兵のための税の代わりに、祈りを捧げることで許されている。900年頃にはアウクスブルク司教の所有となった。955年にこの修道院は消滅した。ハンガリー軍が建物を焼き払い、修道院長ティーントと6人の修道士を殺害したのであった。
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