暴動の収束へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 18:44 UTC 版)
武力による鎮圧が進む一方、平和的な対話の呼びかけも始まった。同日、暴行で重傷を負い治療を続けていたロドニー・キングが、事件以後はじめてカメラの前に姿を現し、「言いたいことはひとつだけだ。仲良くやっていけないのか?」と暴動の収束を呼びかけた。 翌2日にはコリアタウンでアジア系・白人・黒人らからなる3万人規模の抗議集会が開かれ、略奪行為の即時中止を訴えた。また翌3日、当時の黒人社会で絶大な人気を誇っていた活動家ジェシー・ジャクソンがコリアタウンを訪れて韓国系アメリカ人の代表者らと面会、異人種間対話のための場を設けると宣言した上で、黒人コミュニティに暴動・略奪へ加わらないよう求めた。 こうした動きが重なり、5月3日になってようやく各地で暴動が沈静化しはじめる。5月4日には日中の市内の非常事態宣言・外出禁止令が解除され、商店の営業や学校の授業が再開された。これと前後して連邦司法省は、無罪評決を受けた4人の警察官を、公民権法侵害(第7篇:人種差別行為禁止)の容疑で再捜査すると宣言した。こうして6日間にわたる大規模暴動はようやく収束した。
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