星野利彦とは? わかりやすく解説

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星野利彦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/11/05 03:58 UTC 版)

星野 利彦(ほしの としひこ、1966年7月[1] - 2025年11月3日[要出典])は、日本文部官僚

経歴

1990年3月に立命館大学文学部地理学科を卒業した[1]

1991年4月に科学技術庁に入り[2]、おもに原子力局で経歴を積む[1]。放射線医学研究係長在任中には、重粒子医科学センター病院の建設計画を立案した[3]。この間、1996年8月から1998年3月にかけて郵政省通信政策局技術開発推進課国際研究係長を経験し、さらに2000年6月から2003年12月にかけては外務省在ロシア日本国大使館一等書記官となり[1]放射性廃棄物処理施設の開設などに関与した[3]

2004年1月から文部科学省研究振興局情報課課長補佐となったのを皮切りに、研究振興局で昇任し、2007年4月には研究振興局付内閣官房内閣情報調査室調査官となり、2009年4月には、科学技術・学術政策局基盤政策課人材政策企画官に移った[1]

2010年7月から1年間、独立行政法人海洋研究開発機構経営企画室次長を務めた後、2011年7月に科学技術・学術政策局に復帰して、内閣官房内閣参事官内閣官房副長官補付)となった[1][2]

2012年9月には、京都大学iPS細胞研究所基盤技術研究部門の教授[1][2]、所長補佐となり研究推進の支援に取り組んだ[4]

2015年1月に本省に復帰して、大臣官房付となり、併せて、内閣府政策統括官(科学技術・イノベーション担当)付参事官となって、企画、資源配分、イノベーション創出環境、大学改革などを担当した[1][2]

2018年8月には、国立研究開発法人宇宙航空研究開発機構総務部長、さらに2019年4月には内閣府宇宙開発戦略推進事務局参事官となり、2020年4月には再び文部科学省大臣官房付となって、科学技術・学術政策研究所第1調査研究グループ総括上席研究官となった[1]

2022年4月1日、新たに1年の任期で、国立研究開発法人量子科学技術研究開発機構理事に任じられた[1][2]

2024年7月には、理化学研究所監事となった[2]

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j 国立研究開発法人量子科学技術研究開発機構役員人事(令和4年4月1日)量子科学技術研究開発機構、2022年4月1日。2025年11月4日閲覧
  2. ^ a b c d e f 理化学研究所 監事 星野 利彦 (PDF)理化学研究所。2025年11月4日閲覧
  3. ^ a b 特集1 国家公務員Ⅰ種の道を選んで ―若き官僚たち 職務と志を語る」『りつめい』(PDF)、第222号、立命館大学校友会、7面。2025年11月4日閲覧。
  4. ^ 「新しく着任した教員を紹介します」『CiRA Newsletter』第11巻、京都大学iPS細胞研究所(CiRA)国際広報室、2012年11月、8面。2025年11月4日閲覧。



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