明障
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/12 00:57 UTC 版)
平清盛の六波羅泉殿の指図の左上に、アカリショウシの記載がある。それが壁、遣戸、蔀などとともに寝殿の外との隔ての位置に出てくる。 鎌倉時代以降の絵巻に現れる明障子はちょうど画像16や画像19のように外側には蔀、または舞良戸が描かれ、現在のショウジに近づくが、『山槐記』にある指図にはアカリショウシとあるだけで、その外側に蔀なり舞良戸なりがあったのかどうかは判らない。従って鎌倉時代以降の絵巻に現れる明障子と同じかどうかは判らない。もちろん指図を書くのは内部の室礼の為で、従って視線は中から、そして明障子の外側までには関心が無かったということも考えられる。 当時の明障子に張られたのは和紙とは限らず、生絹(すずし)も使う。一方で、その当時から障子紙は現在のもの程度の薄い和紙が使われていたという記録もある。清盛の外孫にあたる東宮、後の安徳天皇が満一歳なって平清盛の屋敷を訪れたときに、清盛に教えられるまま指につばをつけて明障子に穴をあけたことが『山槐記』に記されている。感涙のあまり清盛はこの障子を保管するように命じた。
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