旧平田漁網商店
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 22:45 UTC 版)
八風街道の起点の富田一色町の海運橋を渡り、東へ少し行った平田滋宣の邸宅は、平田紡績の前身である平田漁網商店の建物だった土地であり、富田一色七軒本町自治会の本町通りの両側は営業事務所や倉庫の建物がある。西側付近の松原地区には東洋紡績富田工場があった。富田一色本町通りの北側に3つの建物が東西に立ち並び、反対側の富田一色本町通りの南側は旧倉庫が3つ続いて北の建物に向かい合っている。旧営業所など3つの建物の年代は、東側の建物は創業当時のもので、中央の建物が明治初期の明治8年~明治10年頃の建造物で、西側は明治中期の明治18年頃の建造物である。少し改造されているが、中央と西側の建物は、6畳と8畳の部屋が合わせて10数部屋続き、応接室もある。旧倉庫は明治30年代の操業風景の写真があるところから、明治初期から~明治中期に建造されたようで、3つの建物は第5倉庫・第6倉庫・第7倉庫と呼ばれて、漁網の原料の麻糸を保管した土蔵である。
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