旧実践女学校時代(1946-1948)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/29 08:48 UTC 版)
「多治見市図書館」の記事における「旧実践女学校時代(1946-1948)」の解説
昨今の厳寒季にありて何一つ暖房設備のない読書室に孜々として読書に余念のない青年の姿を眺める時日本はまだ亡びずの感を深くした — 『週刊たぢみ』1947年2月22日 土岐郡多治見町は1940年(昭和15年)に市制施行して多治見市となった。岐阜県では岐阜市(1889年)と高山市(1936年)に次いで3番目の市制施行した自治体である。戦後の混乱が落ち着きを見せかけた1946年(昭和21年)初頭、市内在住の斎藤武が図書館の設立を提唱すると、有識者や教育関係者らが賛同の意思を示し、図書館設立委員会が設立された。斎藤らが中心となって市民に献本を呼び掛けると、約3,000冊の図書が集まり、さらに15,000円の寄付金も集まった。弁天町の多治見市立高等実践女学校の校舎の一部を利用し、5月1日には多治見市図書館が開館した。この時期は館外貸出を行わず、館内での閲覧のみだった。開館から1946年末までの利用者数は6,150人であり、一日平均約30人という利用者数について『多治見市史』は「戦後の混乱期を考えれば決して少なくはなかった」と述べている。1948年度時点の岐阜県において、県立の図書館は岐阜県立岐阜図書館と岐阜公民読書室の2館、市立の図書館は大垣市立図書館・高山市立図書館・多治見市図書館のわずか3館だった。
※この「旧実践女学校時代(1946-1948)」の解説は、「多治見市図書館」の解説の一部です。
「旧実践女学校時代(1946-1948)」を含む「多治見市図書館」の記事については、「多治見市図書館」の概要を参照ください。
- 旧実践女学校時代のページへのリンク