旧国境へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/03 08:40 UTC 版)
「フィンランドのカレリア地峡再占領」の記事における「旧国境へ」の解説
レニングラードとヴィープリの間の主要道路と鉄道の中間で、ソ連軍は再度防衛線を立て直すことを命令された。これは古いマンネルハイム線に沿ったものであった。しかし退却が遅く、フィンランド第12師団はレイパスオ(Leipäsuo)を攻略、南西のクオレマン湖(Kuolemanjärvi)方面や、南東の鉄道線に沿った方面に攻撃を継続した。ソ連軍はスンマ近くで防御を始め、防御に成功した。しかしフィンランドがムナスオ(Munasuo)で防衛線を突破するとスンマで防衛していたソ連軍は包囲されることになってしまった。ソビエト第123師団の残りは幾つかの場所でフィンランドの進攻に反攻を続けながらレニングラードに向かって撤退を開始した。8月30日の朝、南西に向かっていたフィンランド第12師団はクオレマン湖(Kuolemanjärvi)近郊でコイヴィスト(Koivisto)-レニングラード間の鉄道を切断し、同じ日にフィンランド湾にまで到達した。同日、ヴァンメルスー(Vammelsuu)では第12師団が鉄道線を遮断した。しかし、主要道路の切断には失敗している。次の日の朝に湾側の部隊もヴァンメルスーに到着し、合流、東部のテリヨキ(Terijoki)に向けて、攻撃は更に続けられた。8月31日にテリヨキは攻略され、次の日までにラヤヨキ川の旧国境に到達した。ソ連軍はコイヴィスト(Koivisto)近郊でまたも包囲され、ソ連海軍の輸送艦でこの島を退却し、レニングラードに向かった。最後に残った部隊も11月1日には避難している。 8月23日から、第12師団の左方で第18師団が南東のヴオクシ川とムオラーン湖(Muolaanjärvi)の間で攻撃を開始した。8月26日には最初にこの地峡を突破した。他方、最初のフィンランド第2師団は第18師団と交代し、地峡からキルッコ湖(Kirkkojärvi)とプンナス湖(Punnusjärvi)の間で前進、第10師団はプンナス湖からヴオクシ川に向かった。ラドガ湖北西岸のモッティ戦術で包囲すると、この地域からソ連軍は一掃された。フィンランド第I軍は第10師団と第15師団を伴ってヴオクシ川下流域に向かった。フィンランド第18師団は8月27日第二の湖の地峡を突破し、一日の休養を置いてキヴェンナパ(Kivennapa 現在のPervomaiskoye)へ向けて攻撃を継続した。キヴェンナパの交差点は8月29日に占領、攻撃は更に旧国境に向けて続けられ、8月31日には国境に到達した。第2師団も8月31日に旧国境に到達した。 第10師団は8月29日にソビエト第198師団の反撃を受けた。しかし、フィンランド第15師団もヴオクシ川の対岸から攻撃に加わり、第198師団を追いやりフィンランド軍の攻撃速度は8月30日から加速した。バルクヤルヴィ(Valkjärvi)鉄道の終点を8月31日には攻略した。これによってソ連軍は包囲の危険性が高まり、ヴオクシ川の下流域の南岸に布陣していたソ連軍は更に南部に戻り旧国境線に戻ることになった。第15師団はソ連軍を追撃、9月2日には旧国境までたどり着いた。
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