日本のテクノ・シーン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 09:58 UTC 版)
「テクノ (ダンスミュージック)」の記事における「日本のテクノ・シーン」の解説
1993年、日本人アーティストのケン・イシイが学生時代に制作したデモテープがベルギーの有力なレーベルR&Sに採用される。彼による1993年の「Pneuma」や1995年の「EXTRA」はヨーロッパの音楽雑誌のヒットチャートにも登場し、日本発の初めてのテクノの成功者と言える。また1993年から1995年にかけて、日本国内でもテクノやいわゆるIDMのレーベル活動が始まった。代表的なレーベルとしてサブライム・レコーズ(Sublime Records)、フロッグマン・レコーズ(Frogman Rrecords)、サブボイス(Subvoice)、とれまレコード(TOREMA RECORDS)、サイジジー・レコーズ(Syzygy Records)などが挙げられる。1994年、それに答えるかのように大手レコード会社のソニー・ミュージック(Sony Music Entertainment (Japan) Inc.)から「ソニーテクノ」と名づけられたプロジェクトによりヨーロッパのテクノのレーベルの音源のライセンスが獲得され国内で販売された。翌年の1995年、今度は出版界からテクノ専門雑誌「ele-king」という雑誌も発行された。ソニーテクノ、ele-king共に1990年代末には終息している。デトロイト・テクノ第二世代のジェフ・ミルズが東京在住な事もあり、オーケストレーションでのテクノブームも起こりつつある。この活動へのメッセージで坂本龍一が「彼の試みは興味深い」とコメントしている。
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