日本のクモ学
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日本のクモ類研究は、江戸時代後期の本草学に遡ることができる。貝原益軒や小野蘭山などの書にはクモに関する記述が見える。 他方、生物学の手法の元で日本のクモ類の記載を行ったのは、ドイツのルートヴィヒ・コッホである。彼は1877年に「日本のクモ類多足類」を出し、これに29の新種を記載した。なお、標本の採集はローレッツである。その後カルシュ (1879) やデーニッツ (1887)、シモン (1888) らによって少しずつ日本のクモ類の記載が行われた。それらを受けてストランドがベーゼンベルクとの共著で『日本のクモ』("Japanische Spinnen":1906)を出版した。これには400種以上が図とともに報告された。これは、それまでの報告とともに、明治初年に来日し、東京医学校(東京大学医学部の前身)の解剖学教授であったデーニッツの採集品に基づいている。 このころから次第に日本人の研究者も育ちはじめ、岩上謙吉・奥村多忠・岩川友太郎・岸田久吉らが初期の研究者として知られる。岸田を中心に発行された「ランザニア」が1929年よりクモ類と動物学の専門誌として出版されたが、3巻12号以降は不定期になった。1930年には日本で初のクモに関する単行本として湯原清次の『蜘蛛の研究』が出た。1936年には東亜蜘蛛学会(現在は日本蜘蛛学会に改名)が設立された。これは、当時は世界で唯一のクモ類の学会であった。
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