日本における釘の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/02 16:07 UTC 版)
詳細は「和釘」を参照 飛鳥時代から明治時代初頭までは、和釘が各種建築物に用いられていた。法隆寺の金堂から飛鳥時代の和釘が用いられていたことが確認され、これが日本で使用確認された中で一番古い釘である。和釘は、当初日本刀と同様に鍛造によって製作されており、釘型の金属製品を作成する鍛冶屋を「釘鍛冶」とも言った。人口増に伴う住宅需要の増加などから、江戸時代初頭には鋳造が主流となった。 1872年頃から、西洋建築には和釘では接合力の弱さのため対応できないとし、フランスから船便による洋釘の輸入が大量に始まった。フランスだけではなく、イギリス・ベルギー・ドイツ・オーストラリア・アメリカと順次輸入を拡大、和釘は淘汰されていった。 安田工業が、1897年(明治30年)に深川にて製釘工場を開始したのが、大規模西洋製釘の始まりとされている。当初は、釘の材料となる線材を全て輸入に頼っていたため、海外からの釘の輸入価格に太刀打ちできず、また政情に輸入量も左右されていたが、釘の安定供給を国策として官営八幡製鐵所が1908年(明治41年)線材の生産を開始。これに伴い、洋釘も国内生産で賄えるようになり、現在に至る。今日では、和釘使用は宮大工による寺社建築の新築、修繕のみとなった。
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