日本における史学史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/18 02:51 UTC 版)
日本の東洋史学界では、白鳥庫吉(1924年)がヒルトの匈奴・フン同族説を批判したのに対し、内田吟風(1936年)がヒルト説を全面的に擁護した。また江上波夫(1948年)が考古学的に同族説を補強すると、それを榎一雄(1955年)は同族説の論証には不十分であると批判し、同定のためにはさらなる積極的な証拠が必要であると主張した。これらを整理した護雅夫(1970年)も榎の主張に共感を示すとともに、中央ユーラシアの諸勢力が征服者として名をとどろかせていた匈奴の名にあやかったり、侵入を受けた側が過去の記憶と結び付けて敵を匈奴と呼んだりした可能性もあるとした。林俊雄(2007年)はより新しく見つかった遺物をもとに考古学的な検討を行い、天山やカザフスタン付近を拠点としていた遊牧民の集団がかなり短期間でカスピ海を通り黒海北岸まで進出していたとし、さらに上述の通り2014年の論文で、モンゴル高原にいた集団が2-3世紀に中央アジア北部に移動し、さらに4世紀後半に西方へ進出したと結論付け、匈奴・フン同族説を補強した。
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