日本での営業写真館の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/04 00:26 UTC 版)
「営業写真館」の記事における「日本での営業写真館の歴史」の解説
日本国内で最初の営業写真館は、幕末の長崎で上野彦馬が開業した「上野撮影局」とされる。写真が一般に広まろうとしていた明治初期の頃、カメラは木製暗箱と呼ばれる大きなサイズのもので、固定する為の三脚は必須であった。感光材料は当初は写真湿板であり、間もなく写真乾板が主流となった。これらは感光剤を塗布するベースがガラスであるために割れ易く、扱いには注意を有する。自店のスタジオや近隣で撮影した後は、密封したうえですみやかに現像を行なう必要がある。 つまり、職業として写真を撮る者は「自店に撮影スタジオを用意し、写真の撮影から現像・プリントまで一式を行う」ことが必須であり、これが昭和を通じての営業写真館の主流となった。乾板を使った撮影方法は、大判のシートフィルムが普及する1950年代まで続いた。 2010年現在、「日本写真館協会」の会員数は約4300軒・独立経営のものなどを含めれば、日本国内にはおよそ2万軒あると推測されている。
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