日暮里・小阪・巣鴨の撮影所とは? わかりやすく解説

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日暮里・小阪・巣鴨の撮影所

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 22:34 UTC 版)

天然色活動写真」の記事における「日暮里・小阪・巣鴨の撮影所」の解説

1914年大正3年3月17日東京小林喜三郎の「常盤商会」と大阪山川吉太郎の「東洋商会」が協力して創立。ふたりは「福宝堂時代本社営業部長大阪支店長だった。日活から引き抜いた金子圭介社長として本社機構日本橋に置き、山川大阪支社長に就任した東京日暮里にある東洋商会の「東京日暮里撮影所」を「天然色活動写真日暮里撮影所」(北豊島郡日暮里町元金638番。現:荒川区)とし、元福宝堂映画監督吉野二郎日暮里撮影所長、東洋商会カメラマン枝正義郎撮影部長とした。設立1か月足らず4月3日吉野監督し正が撮影した設立第一作義経千本桜』を公開している。1919年末までのわずか5年で、「所長監督」と「技術部撮影技師」とのタッグ同社90本近い映画撮った。 その名の通り日本初めて「カラー映画」を製作したが、最終的に採算合わず撤退した沢村四郎五郎市川莚十郎人気コンビによる忍術映画など人気博したまた、かけだし阪東妻三郎もおり、円谷英二は、花見喧嘩があった際に仲裁をしたところ、その場居合わせた枝正義郎が、その人柄を見込んでスカウトした。 1916年大阪郊外の「天然色活動写真小阪撮影所」(現在の東大阪市河内小阪駅付近)を新設開所した。

※この「日暮里・小阪・巣鴨の撮影所」の解説は、「天然色活動写真」の解説の一部です。
「日暮里・小阪・巣鴨の撮影所」を含む「天然色活動写真」の記事については、「天然色活動写真」の概要を参照ください。

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