日中戦争と移民崩壊期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 06:17 UTC 版)
「満蒙開拓移民」の記事における「日中戦争と移民崩壊期」の解説
日中戦争の拡大により国家総力戦体制が拡大し内地の農村労働力が不足するようになると、成人の移民希望者が激減したが、国策としての送出計画は変更されなかった。 国は計画にもとづきノルマを府県に割り当て、府県は郡・町村に割り当てを下ろし、町村は各組織を動員してノルマを達成しようとした。具体的には補助金による分村開拓団・分郷開拓団の編成、義勇軍の義勇軍開拓団への編入などである。それでも、予定入植戸数(一集団の移民規模;200から300戸)に達しない「虫食い団」が続出した。 1940年(昭和15年)には、同和地区からも開拓団が編成され、1941年(昭和16年)からは統制経済政策により失業した都市勤労者からも開拓団を編成した。結局、青少年義勇軍を含めると約32万人が移住したことになる。 開拓民が入植した土地はその6割が漢人や朝鮮人の耕作していた既耕地を買収した農地であり、開拓地と言えない土地も少なくなかった。
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