日中戦争における第2軍
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「第2軍 (日本軍)」の記事における「日中戦争における第2軍」の解説
1937年(昭和12年)7月7日盧溝橋事件が発生し、同年8月31日に支那駐屯軍が第1軍に改編された際、北支那方面軍ともに新設され北支那方面軍の戦闘序列に入った。主に華北方面を作戦地域としていたが、徐州会戦の後華中に転用、1938年(昭和13年)7月4日大陸命弟133号により中支那派遣軍と第2軍の戦闘序列が改定され、武漢作戦に参戦した。徐州会戦の際退却した中国軍によって黄河の堤防が決壊させられており淮河流域の通行ができないので、大別山系を越え武漢を目指し多くの犠牲を出した。
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