新安保条約(しんあんぽじょうやく)
新安保条約は、1960年1月に調印された。正式名称は「日米相互協力及び安全保障条約」だ。略して、新安保条約と言ったりする。1951年の安保条約が、締結期限の10年を迎えるため、条約を更新する形で締結された。
この条約は、日本とアメリカの集団的自衛を定めるものだ。日米のどちらかが武力攻撃を受けた場合、アメリカ軍と自衛隊とが共同して軍事行動をとることが決められた。
さて、この新安保に対し、大規模な反対運動が起こった。国会内では、社会党や共産党が、審議拒否・座り込みなどの国会闘争をおこなった。また国会の外でも、東大学生などが集団デモをおこなった。
彼らの主張は、「米ソの冷戦に巻き込まれたくない」というものだった。当時は冷戦構造が激化している。アメリカと同盟を結べば、日本もまきぞえになって戦争に引き込まれる、と彼らは考えた。そのために大規模な反対闘争になったのだ。
政府が、国会で条約承認を強行採決したおりには、死者が出るほどの大混乱になった。まず、東大の女子学生一名が死亡した。その他、デモ隊と警官隊の双方に数百人ものケガ人がでた。このさいには、史上初めて警察が国会内に導入され、事態を落ち着かせようとした。
(2000.11.08掲載)
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