文明大噴火とは? わかりやすく解説

文明大噴火

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 16:24 UTC 版)

桜島」の記事における「文明大噴火」の解説

1468年応仁2年)に噴火した被害の記録はない。その3年後、1471年文明3年9月12日大噴火(VEI5)が起こり北岳北東山腹から溶岩北側文明溶岩)が流出し死者多数記録がある。2年後1473年にも噴火があり、続いて1475年文明7年8月15日には桜島南西部噴火起こり溶岩南側文明溶岩)が流出した。さらに翌1476年文明8年9月12日には桜島南西部で再び噴火起こり死者多数出し沖小島烏島形成された。 1509年6月2日永正6年5月15日)、福昌寺の僧天祐南岳山頂鎮火祈願する真鍮の鉾を立てた。この鉾は後に風雨により折損したため1744年11月27日延享元年10月24日)にの鉾として再建されている。戦国時代において桜島島津氏領地となっており、鹿児島湾挟んで対峙していた肝付氏との争い最前線として各所城塞築かれ兵が配置されていた。1571年12月6日元亀2年11月20日)には肝付氏禰寝氏伊東氏連合軍100余りの船で桜島各所攻撃した。これに対して島津家久横山、脇、瀬戸などに陣を構えて応戦している。

※この「文明大噴火」の解説は、「桜島」の解説の一部です。
「文明大噴火」を含む「桜島」の記事については、「桜島」の概要を参照ください。

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