敗戦責任と背後の一突き
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 05:40 UTC 版)
「エーリヒ・ルーデンドルフ」の記事における「敗戦責任と背後の一突き」の解説
1919年2月にミュンヘンへ帰国し、帰国後は専ら反ヴァイマル共和政の政治活動に専念するようになり、右翼・保守の人望を得た。 1919年11月にヒンデンブルクが議会の査問委員会において敗戦責任を「社会主義者による背後の一突き」に求めたのがきっかけとなり、ドイツ革命を起こした社会主義者に敗戦責任を押し付ける言論が保守派・右派を中心に盛んとなった。ルーデンドルフもイギリスのベルリン駐在イギリス武官ニール・マルカム少将との会談の席で、いつもの誇張された弁舌で大戦中、最高司令部はいつも文官政府からの邪魔で苦しんでいたこと、また革命がドイツ軍を裏切ったことを語った。それをきいたマルカム将軍が「閣下、貴方は背後から刺されたとおっしゃるのですか」と尋ねると、ルーデンドルフの目が光り、飛びつくようにこの言葉に反応して「背後から刺されたですって」と繰り返し、「そうです。まさにそのとおり。我々は後ろから刺されたのです」と言い出した。 また、ルーデンドルフは「ユダヤ人の裏切り」を述べ始めた人物でもある。ルーデンドルフは「ユダヤ人は戦争受益者であり、ドイツ人の愛国主義者はドイツ民族がユダヤ民族によって売り渡されたと考えている」と論じた。 こうしたヒンデンブルクやルーデンドルフの言動に端を発して広められた「背後の一突き」説はドイツ国家人民党や国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)など右派政党に影響を与えた。
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