政治上の桐紋の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/12 15:17 UTC 版)
桐が鳳凰の止まる木として古代中国で神聖視されていたことに倣って、日本でも一説には嵯峨天皇の頃から、天皇の衣類の文様に用いられるなど、菊紋章に次ぐ格式のある紋とされた。室町幕府以後は、武家が望んだ家紋とされ、足利尊氏や豊臣秀吉などもこれを天皇から賜っている。このため、五七桐は「政権担当者の紋章」という認識が定着することになった。ただし、征夷大将軍に任命された徳川家康のように、これを断り、紋章として桐を使用しなかった者もいる(ただし、家康個人は大御所時代になってからは桐紋も用いるようになっている)。豊臣政府や徳川幕府では、小判などの貨幣に刻印され、それが全国に流通したことにより、それぞれの政府を表す紋章としての地位を確立した。1872年には、明治政府が大礼服を定め、勅任官は、その上着に「五七桐」を用いることとされた。
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