政治・経済界への進出
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 00:10 UTC 版)
山林事業の近代化にのり出し、八頭木材会社の経営に参加した。ついで銀行業にも目をむけ、大正鳥取銀行の創設に参画し、役員として経営にあたった。1911年智頭村会議員になってから、1923年鳥取県会議員となり、1928年には県会議長となった。さらに1932年貴族院議員にもなった。1930年、県東部のバス・タクシー八社を合併して、日ノ丸自動車株式会社を発足させた。その後1944年までに二八社を統合して、全県バス網を一本化した。1938年、丸由百貨店(現鳥取大丸)を設立して、その社長になった。一族の由谷正太郎の発議した事業だったが、当時は町ともいえなかった鳥取駅前に位置を定めたのは、米原の意見によることだった。1939年鳥取新報、因伯時報、山陰日日新聞の県内三紙を合同、日本海新聞を創立して初代社長となった。 戦後は公職追放となり、追放解除後には1958年日本海テレビを設立。
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