放送開始から人気上昇まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 06:08 UTC 版)
「8時だョ!全員集合の歴史」の記事における「放送開始から人気上昇まで」の解説
1969年10月4日、番組はスタートを切った。この年の10月はドリフが新宿コマ劇場で公演を行っていたことから、初回から10月25日放送分までの4回分は、9月に事前収録となった。 開始当初はドリフによるコントだけでなく、作曲家の山本直純を起用しての音楽コーナーやゲストを招いてのトークコーナー、巨大滑り台セットを使用してのクイズコーナー「ドリフでドボン」があった。 こうして10月に放送された4回分の平均視聴率は約14%(初回視聴率は12.9%)で、これまでの番組と比べればまずまずの結果を収めた。しかし、VTRをチェックしていく中でドリフが苦手としているコーナーが多かったことがわかり、コント以外のコーナーを年内一杯で廃止。特に「ドリフでドボン」のセットに使われた巨大滑り台は制作費が高く、3ヶ月で終わらせることにTBS社内から顰蹙を買ったという。これらに代わって1970年より「ベスト100」(後の後半コント)を開始した。 視聴率は悪くなく、観客からの受けも良かったものの、裏番組の『コント55号の世界は笑う』は依然として視聴率が高く、居作はその打開策を考えていた。その中で「視聴率に繋がらないのは、チャンネル選びの習慣性によるものだ」という意見を聞いた居作は、視聴率が習慣によるものなのかどうかを実験すべく、当時のTBSの人気番組の出演者をゲストに呼び、コントに参加させることを思いつく。その手始めとして、1970年1月24日に『サインはV』のメンバー(岡田可愛、中山麻理、范文雀、岸ユキなど)がゲスト出演、するとこの回の視聴率は一気に27%に上昇。さらに、翌1月31日に『柔道一直線』の主演・桜木健一を、その翌々週2月14日は『キイハンター』から丹波哲郎、野際陽子らをゲストに招いた。しかし、この中の空いた1週(2月7日)、つまり人気番組のゲストのいない回こそが居作の狙い目であり、この回の視聴率が良ければ視聴者が視聴習慣を変えたことになり、逆に悪ければ失敗と踏んでいた。この結果、2月7日放送分の視聴率は25%を記録し実験は成功。こうして当番組は「お化け番組」と呼ばれるまでの人気を獲得していくことになった。
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