放送開始の経緯、歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 10:00 UTC 版)
「TokYo,Boy」の記事における「放送開始の経緯、歴史」の解説
番組が制作されるきっかけになったのは、石原慎太郎が東京都知事に当選した際、テリー伊藤が石原から「どうしようもないMXテレビをなんとかしてよ!テリーさん番組作ってくれないかな?」と何回も尋ねられそこから実現に至った。 放送開始当初は週代わりで東京の問題点を探っていくメイン内容と並行して「東京の優良市民を探そう」というサブコーナーもあった。 放送時間変更後はアーティストのオーディション企画が主体となり変更前とは大きく番組内容が変わって行った。 一時期、東京都庁の展望台で「Tokyo Boyまんじゅう」という、当番組とコラボレートした菓子が販売されていたことがある。 ほぼレギュラーだった浅草キッドに息子の石原良純が『ブラックバラエティ』にて「(父親が)わがままでしょ?」と尋ねたところ、水道橋博士が「あんなにワガママな人見た事ない」と断言。当時4年間も一緒に仕事をしていたが「全然名前を覚えない」と嘆いていた。 2002年辺りからオーディション企画が減って行きオールロケとスタジオで映像を見てテリー伊藤ら出演者が論議する企画の二つを変動的に行うようになる。 2004年辺りから「東京に泊まろう」を中心にオールロケ企画のみとなる。 その後は東京マラソンのタイアップ企画や東京の名所、新スポットを紹介する企画が主体となっていた。 2014年3月をもって14年半の歴史に幕を下ろした。なお、東京都の広報番組としての後番組は2014年4月5日にスタートした『東京クラッソ!』。
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