播但線真名谷トンネル列車脱線転覆事故とは? わかりやすく解説

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播但線真名谷トンネル列車脱線転覆事故

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 23:16 UTC 版)

日本の鉄道事故 (1950年から1999年)」の記事における「播但線真名谷トンネル列車脱線転覆事故」の解説

1959年昭和34年4月6日 4時45分ごろ 播但線生野 - 長谷間の真名トンネル北側生野駅より長谷方約4 km)で、福知山溝口行き臨時回送上り8630列車7両編成)が脱線転覆し蒸気機関車 (C54 5) と前部3両が大破福知山鉄道管理局豊岡機関区所属機関士機関助手2人即死した機関車トンネル内に頭を突っ込み横転、1両目は崖に乗り上げ、2両目下腹見せて転覆その上に3両目乗り上げたため、生野 - 寺前間が不通となった。C54 5も原形留めぬほど大破しその後廃車解体処分された。 この時、機関車逆向き運転をしており、炭水車側からトンネル側壁衝突したため、運転台炭水車押しつぶされた状態になっており、乗務員遺体収容凄惨な状態だったという。原因としては、生野駅手前新井駅側)にある生野トンネル (614.73 m) が、播但線において難所とされている生野峠から続く25パーミル (‰) という上り勾配で、かつ、開口面積が狭いため、通過の際に乗務員煤煙ばいえん)により意識失い登坂のために加減弁が引かれた状態のまま下り勾配駆け下りたこととされている。 この事故の後播但線蒸気機関車乗務員対し非常用ガスマスク支給され翌年には生野峠越え補機として、当時最新鋭DF50形ディーゼル機関車配備されることとなった現場線路脇に、遺族らが建立した慰霊碑残されている(兵庫県神崎郡神河町地区)。外部リンク:『銀のみち の路 ―1906 - 2006 播但線全通100年』 3. 弔魂碑 - ウェイバックマシン2009年3月19日アーカイブ分)(神戸新聞

※この「播但線真名谷トンネル列車脱線転覆事故」の解説は、「日本の鉄道事故 (1950年から1999年)」の解説の一部です。
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