接戦だった州(投票率差10%未満)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/16 06:02 UTC 版)
「1972年アメリカ合衆国大統領選挙」の記事における「接戦だった州(投票率差10%未満)」の解説
青字は民主党、赤字は共和党が勝利したことを示す。数字は得票率の差。 ミネソタ州, 5.51% ロードアイランド州, 6.19% サウスダコタ州, 8.63% マサチューセッツ州, 8.97% ウィスコンシン州, 9.68% この選挙では以下のような記録があった。 1960年から現在まで、ミネソタ州が共和党候補者を支持したことでは唯一のものである。 共和党候補者が全南部州を制したことでは初めての選挙となった。アーカンソー州は共和党に鞍替えしたことでは最後の州になった。同州は1972年以前で民主党以外の候補者が制したことは2回だけだった。1872年の共和党ユリシーズ・グラントと1964年第3の政党のジョージ・ウォレスだった。ニクソンは1968年にフロリダ州、ケンタッキー州、ノースカロライナ州、サウスカロライナ州、テネシー州およびバージニア州を制しており、バリー・ゴールドウォーターは1964年にアラバマ州、ジョージア州、ルイジアナ州、ミシシッピ州およびサウスカロライナ州を制していた。サウスカロライナ州以外のゴールドウォーターが制した州は1968年にはウォレスが制した。 ハンター・S・トンプソンの著書『72年選挙運動の道筋での恐怖と嫌悪』は、選挙までの1年間と選挙運動について情報があり超現実的な内部関与者の見聞を伝えている。 アリス・クーパー・バンドのアリス・クーパー(ビンセント・デイモン・ファーニア)は1972年の選挙にそのグループのアルバム『億万長者の赤ちゃん』を販促する宣伝行為として参加し、アルバムは1973年に発売になった。このショック・ロックのバンドは得票しなかったが、選挙運動の歌『選ばれた』がヒットした。
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