指導方針・スタイル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/02 00:13 UTC 版)
ニコニコドー監督時代に練習拠点にしていた熊本県阿蘇のクロスカントリーコースで夏合宿を行い、選手の力量を見極めた。 「箱根駅伝はトラックの10000m×2ではない」が持論で、練習は質より量を重視し、徹底した走りこみで脚を鍛える。箱根駅伝の区間配置は往路と復路のバランスを重視し、他の多くの大学に見られる往路偏重のオーダーは組まない。亜細亜大学の監督時代には、練習の一環で部員達に度々東京都西多摩郡日の出町の寮から大学キャンパスまでの約30kmの道のりを走って通学させていた。 亜細亜大学、拓殖大学いずれの監督就任時も、単身上京して選手寮に住み込み、選手と寝食を共にしている。ニコニコドー時代は同居はできなかったため、自宅近くに合宿所を作り、夜に外から様子をうかがって、就寝しているかどうかを確認していた。 「20歳を過ぎた学生なのだから選手の自主性に任せるという手もある。しかしそれは指揮官の逃げでもある。自主性とはそんなに生易しいものではない」という考えに基づいて、選手達が卒業後社会人としてやっていけるように、生活指導を厳しくしている。寮の玄関に無造作に散らばっている靴を、全て外へ放り投げたことがある。 長年営業畑を歩んできた経験から、「日頃からの挨拶」を最も重視している。2004年には部員が日の出町内で欠かさず行ってきた挨拶活動が評価され、陸上競技部が町から感謝状を贈られた。
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