持株会社の実態と解散
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/22 18:16 UTC 版)
澁澤同族株式会社の保有株式の各社ごとの保有比率は非常に低く、栄一の死から5年後の1936年(昭和11年)の資料によれば、第一銀行で2.9%、石川島造船所で1.9%、東京貯蓄銀行(第一銀行系貯蓄銀行)で16.5%、最も比率の高い澁澤倉庫でも26.2%に過ぎず、他の財閥のように発行済株式の過半数を保有することによって、財閥家族が傘下企業の経営に影響力を及ぼすという支配構造ではなかった事が確認できる。また、1943年(昭和18年)には第一銀行は三井財閥の三井銀行と合併し帝国銀行となっていた。 こうした実態ではあったものの、財閥解体政策が進められるなかで1946年(昭和21年)12月7日に持株会社指定を受け、指定解除の議論もある中であえて抗わず粛々と資産処分を実施し、昭和22年(1947年)10月に解散した。
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