持株会社の解散後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/22 18:16 UTC 版)
1948年(昭和23年)帝国銀行から旧第一銀行は分離独立し、行名も合併前の旧名である第一銀行に復した。第一銀行及びその後身である第一勧業銀行と取引があり、渋沢栄一が設立時等に関わりをもった幾つかの企業は第一勧業銀行の取引先グループの三金会のメンバーとなっている。 ただ渋沢栄一が創設等に関わったものの、いわゆる「渋沢系」と周知あるいは自認している企業は少なく、第一銀行(現みずほ銀行)、澁澤倉庫、東京石川島造船所(現:IHI、いすゞ自動車)くらいであるとの研究者指摘もある。一方で渋沢栄一が、相談役として黎明期より深く長く経営に関わりをもった清水建設や、渋沢栄一がグループ創業者の古河市兵衛と深い信頼関係を築き終始助力を惜しまなかった古河グループなど、自社やグループの歴史の中で渋沢栄一との繋がりを今日に至るまでしっかりと伝える企業も多い。
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