拓殖大学野球部とは? わかりやすく解説

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拓殖大学野球部

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/27 06:45 UTC 版)

拓殖大学野球部
拓殖大学のユニフォーム(内田俊雄元監督)
加盟団体 東都大学野球連盟
本拠地 東京都八王子市館町815-1(拓殖大学八王子キャンパス内)
創部 1923年
監督 馬淵烈
公式サイト 拓殖大学硬式野球部
リーグ戦成績
リーグ成績 2部優勝3回
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拓殖大学野球部(たくしょくだいがくやきゅうぶ、Takushoku University Baseball Club)は、東都大学野球連盟に所属する大学野球チーム。拓殖大学の学生によって構成されている。

歴史

  • 1920年(大正9年)[1] 東洋協会大学野球部として創部。
  • 1931年(昭和6年) 拓殖大学、東京文理科大学東洋大学により三大学野球連盟結成。後に東京工業大学東京商科大学が加わって東京新大学野球連盟と改称。
  • 1933年(昭和8年) 東工大戦にて乱闘騒ぎを起こし、東京新大学野球連盟分裂の原因となる。
  • 1940年(昭和15年) 野球部閉鎖。
  • 1949年(昭和24年) 紅陵大学野球部として東都大学野球連盟加盟。
  • 1966年(昭和41年) 元プロ野球選手でPL学園高監督を務めた綱島新哉(旧名: 綱島新八。立大OB)が監督就任。
  • 1967年(昭和42年) 春季、東都大学野球連盟三部で初優勝し、二部に初昇格。
  • 1984年(昭和59年) 1年間出場を辞退したため、四部まで降格。
  • 1985年(昭和60年) 春季、四部優勝し三部昇格。
  • 1986年(昭和61年) 春季、三部優勝し二部昇格。
  • 1987年(昭和62年) 秋季、二部で初優勝するが、一部昇格を逃す。
  • 1994年(平成 6年) 秋季入替戦に敗れ、三部降格。
  • 1995年(平成 7年) 春季入替戦に勝利し、二部昇格。
  • 1999年から2001年にかけて二部と三部を行ったり来たりする。
  • 2005年(平成17年) 秋季入替戦に敗れ、三部降格。
  • 2006年(平成18年) 2月、内田俊雄(前亜大総監督)が監督就任。2代続けての拓大OB以外からの監督起用となる。
  • 2007年(平成19年) 内田監督になって2回目の三部優勝後、春季入替戦に勝利し二部昇格。
  • 2011年(平成23年) 秋季に2回目の二部優勝を遂げるが、一部昇格を逃す。
  • 2013年(平成25年) 春季に3回目の二部優勝後、一部に初昇格。秋季一部リーグ戦にて最高成績となる3位。
  • 2015年(平成27年) 春季一部リーグ戦で最下位となり、2年ぶりの二部降格。
  • 2020年(令和2年) 馬淵烈が監督就任。久しぶりの拓大OBからの監督起用となった。父も拓大OBの馬淵史郎[2]

本拠地

東京都八王子市館町815-1(拓殖大学八王子キャンパス内)

記録

  • 二部優勝:3回

主な出身選手

脚注

外部リンク




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