拓殖大学陸上競技部とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 拓殖大学陸上競技部の意味・解説 

拓殖大学陸上競技部

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/08 15:03 UTC 版)

拓殖大学陸上競技部(たくしょくだいがくりくじょうきょうぎぶ)は、拓殖大学麗澤会体育局の陸上競技チーム。関東学生陸上競技連盟所属。関東インカレでは2部に所属。

2010年から亜細亜大OBで同大学を箱根駅伝初優勝に導いた元同大学陸上競技部監督の岡田正裕が監督を務めた。2019年から亜大優勝メンバーの山下拓郎が監督を務めていたが、2023年大分東明高校の監督を務めていた駒澤大学OBの井上浩に交代し[1]、更に2025年にコーチを務めていた駒澤大学OBの治郎丸健一に交代した[2]

箱根駅伝最高順位は7位、往路3位。出雲駅伝は4位。全日本大学駅伝は3位が過去最高成績。箱根駅伝は過去3回区間賞獲得。ロードに強い選手が多く卒業生は多数マラソンで活躍している。2012年ロンドンオリンピック男子マラソン代表2名、2024年パリオリンピック男子マラソン代表1名をそれぞれ輩出。

2016年、女子陸上競技部が独立した部として発足し、ここで解説する。全日本大学女子駅伝優勝をチームの目標に掲げ、2021年に入学した不破聖衣来の活躍で注目されている。学校の女子陸上部公式サイトはこちら

沿革

箱根駅伝

初出場は戦前の第14回大会(1933年)である。終戦直後に大学名が紅陵大学と改称されていた時期にも2度出場している。

一度陸上競技部が自然消滅していたこともあり、50年代から60年代にかけて長らく出場していなかったが、部が再興された後の第46回大会(1970年)で15年振りに出場を果たす。第60回大会(1984年)の出場を最後に再び長らく不出場が続いたが、大東文化大学OBの米重修一を監督を招聘し強化に乗り出した結果、第73回大会(1997年)で14年振りに出場した。区間賞は3回獲得している。

2000年代に入ってからは予選会で僅差の次点に泣くことも数度あった。2010年から亜細亜大学を初優勝に導いた岡田正裕を監督に招聘し、第87回大会(2011年)には最高順位となる7位を記録したほか、第95回大会にチーム史上初の連続シードを獲得した。第75回大会4区で大ブレーキに泣いた小林史和はその後奮起し、1500Mの日本記録を樹立している。

練習拠点は調布市。2021年からは八王子市に拠点を移す。たすきの色はオレンジ。ユニフォームはシャツがオレンジ・パンツが白。現行デザインとなったのは1995年の第72回大会予選会以降(第73回大会までは胸のマークが現行の「T」ではなく校章であった)で、第70回大会予選会まではシャツが黄色・パンツが白、第71回大会予選会ではシャツが白・パンツが黒で胸に「拓魂」と大書きされたユニフォームを着用していた。

主な出身者

陸上競技部(男子)

関連項目

脚注

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「拓殖大学陸上競技部」の関連用語

拓殖大学陸上競技部のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



拓殖大学陸上競技部のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの拓殖大学陸上競技部 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS