批評活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/31 14:19 UTC 版)
バザンは、質の高い作品を一般大衆向けに紹介し解説するという賭けに出た。そうすれば大衆の映画に対する要求はより厳しいものになり、単なる商業映画には満足しなくなるだろうと考えたのである。彼にとって文化とは大衆を解放する手段だった。オーソン・ウェルズについて解説書を執筆したのも同じ考えに基づくことだった。1958年の作品『黒い罠』の公開時にはウェルズにインタビュー記事を行っている。また、チャールズ・チャップリンやジャン・ルノワールについてもそれぞれ一書を著した。マルセル・カルネの『日は昇る』(Le jour se lève)については、ウェルズの『市民ケーン』に匹敵する出来であると評価した。 機知に富み自由な心の持ち主であったバザンは、基本的に自分が気に入った作品のことしか書かない主義だった。ある種の作品に関してトリュフォーに批評の執筆をまかせているのもこうした理由によるものである。「私は『パリ語りなば』(Si Paris nous était conté、サシャ・ギトリ監督・脚本、1955年)がそこまで素晴らしい作品だとは思わない。私たちはギトリならもっとましなものをつくれるはずだと考えるようになっているからだ。だがフランソワ・トリュフォーは『パリ語りなば』が気に入ったようで、この作品をきちんと褒められるのはパリでトリュフォーだけだから、私は彼に席を譲る」。
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