戦犯刑務所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/04/28 23:56 UTC 版)
第二次世界大戦でナチス・ドイツが崩壊したあとの連合軍軍政期、アメリカ軍はランツベルク刑務所を第一戦犯刑務所(War Criminal Prison No. 1)とし、ナチス関連の戦争犯罪者らを収監した。戦争中にアメリカ軍人らに対し戦争犯罪を行った兵士や強制収容所関係者などを裁く軍事裁判・ダッハウ裁判が1945年11月より数年をかけてダッハウ強制収容所跡で行われ、1945年12月には死刑を宣告された第一陣の受刑者が到着した。さらにニュルンベルク国際軍事裁判で被告とされたナチス最高指導者らも相次いで到着した。 ランツベルクにはニュルンベルク裁判やニュルンベルク継続裁判(医者裁判など)で有罪になった受刑者110人、ダッハウ裁判で有罪となった受刑者1,416人、上海裁判で有罪となった受刑者のうちドイツ人の18人が収監され、5年半で275人の死刑が執行された。最後の絞首刑は1951年6月8日に執行された。これはドイツ連邦共和国(当時の西ドイツ)国内で執行された最後の死刑でもある。死刑執行された戦犯のうち、引き取り手のなかった者の遺体はスペッティンゲン教会(Spöttingen chapel)横の墓地に埋葬された。 第一戦犯刑務所は1958年5月、最後の4人(アインザッツグルッペン裁判で有罪となった親衛隊将校)が釈放されたことにより閉鎖され、刑務所の管理権は西ドイツ政府に引き渡された。
※この「戦犯刑務所」の解説は、「ランツベルク刑務所」の解説の一部です。
「戦犯刑務所」を含む「ランツベルク刑務所」の記事については、「ランツベルク刑務所」の概要を参照ください。
- 戦犯刑務所のページへのリンク