戦争の進展
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/22 19:23 UTC 版)
八重山における連合国軍の攻撃は1944年10月の石垣島の空襲(十・十空襲)に端を発した。その後、1945年3月には連合国軍は慶良間諸島に上陸、そこから主戦場は沖縄本島とその周辺に移るが、その間、八重山は激しい空襲と艦砲射撃にさらされ続けた。八重山に向かったのは主として英国海軍であった。 これに対して日本軍は1943年に観音寺部隊が駐屯した後、次々と来島し、陸海軍8,000名が主として石垣島と西表島に陣地を築いた。また飛行場が建設され、地域住民は軍需品として資材や金属などの供出が求められ、また作業の労働力として動員された。連合国軍の攻撃に対する日本側の方針は「宮古では状況次第で上陸軍を攻撃するが、石垣においては持久戦に専念」というものであった。しかし連合軍は上陸戦を行わなかったので、高射砲で応戦するのみの防衛戦が行われた。
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