憑人論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 06:38 UTC 版)
吉本は、『遠野物語』を書いた柳田國男は、覚醒時の〈入眠幻覚〉に入りやすい気質を持っているとし、それは、もうろう状態で実在しない叔母の家に行こうと飛び出すなどの行動体験として現れ、いつも母系的・始原的な心性に還るのが特徴と述べている。吉本によれば、〈入眠幻覚〉には、1.柳田のような〈始原的なもの〉への志向、2.遠感能力のような自己を喪失し対象へ移入しきる〈他なるもの〉への志向、3.対象世界がぜんぶ消失し抽象的自我のみが残るといった〈自同的なるもの〉への志向があり、それぞれ1.行動に〈憑く〉常民の共同幻想、2他の対象に〈憑く〉巫覡(ふげき)の自己幻想、3.拡大されたじぶんに〈憑く〉宗教者の自己幻想と対応しているという。これらは、1.→2.→3.と段階に変化し、「共同幻想」と「自己幻想」が逆立せずに接続している段階から、しだいに逆立して行く変化に対応し、「共同幻想」と「自己幻想」が分離(逆立)して行けばそれらを媒介する巫覡的な人物(憑人)が分離される。『遠野物語』の死やわざわいの〈予兆〉譚は、村落の限られた時空以外では無意味であり、1.まず村民にある〈入眠幻覚〉のような村落伝承が共同幻想に覆いかぶさっているか、2.それが村の異常な個人(憑人)に象徴的に体現されているかである。『遠野物語』に書かれている憑人は2.の遠感能力を自分では統御できず、村落の伝承によって統御されている。
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