愛宕神社 (館林市)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/27 21:03 UTC 版)
歴史
社伝によると、文武天皇4年(700年)に創建された[1]。役小角が山城国(現・京都府)の愛宕神社から分霊を勧請したという[1]。文永10年(1273年)に鎌倉幕府第5代執権北条時頼によって社殿が造営されると共に、別当寺として『興蔵寺』を境内に創建した[2]。
室町から戦国にかけて館林の領主は赤井、長尾、北条氏と移り変わったが、そのいずれからも崇敬を受けた[2]。天正18年(1590年)館林に入部した榊原康政は、文禄年間に当社を「館林市中総鎮守」と定めて社地5,000坪超を安堵し、慶長7年(1602年)には榊原氏の祈願所に定め、社殿を修復した[2]。
徳川綱吉は館林藩藩主になったのちに、寛文9年(1669年)に社殿を全て改築し、葵の紋章を付して祈願所とし、また自筆の「芦鷺絵」を奉納した[2]。さらに綱吉が江戸幕府第5代将軍に就いてからは、元禄10年(1697年)に社殿が修築されて公儀普請所に指定され、以後幕末まで社殿の修理は幕府または館林藩により行われた[2]。
明治初期、「館林総鎮守」は、近代社格制度に基づく「郷社」に列せられた長良神社に取り上げられ、その摂社となった[1]。
1908年(明治41年)の神社合祀により、周辺の5社が合祀された[1]。
文化財
- 青石地蔵板碑(群馬県指定重要文化財 昭和48年8月21日指定)[3]
交通アクセス
- 館林駅より徒歩10分。
脚注
参考文献
- 館林市史編さん委員会 編『館林市史 別巻 館林の寺社と史料』館林市、2020年
- 川島維知 著『館林双書 第15巻 館林の社寺』館林市立図書館、1986年
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