愛宕神社 (羽生市砂山)とは? わかりやすく解説

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愛宕神社 (羽生市砂山)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/02 04:13 UTC 版)

愛宕神社
所在地 埼玉県羽生市砂山142
位置 北緯36度08分49.9秒 東経139度31分43.3秒 / 北緯36.147194度 東経139.528694度 / 36.147194; 139.528694 (愛宕神社 (羽生市砂山))座標: 北緯36度08分49.9秒 東経139度31分43.3秒 / 北緯36.147194度 東経139.528694度 / 36.147194; 139.528694 (愛宕神社 (羽生市砂山))
主祭神 火之迦具土神
社格 村社
創建 文禄年間(1592年 - 1596年
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愛宕神社(あたごじんじゃ)は、埼玉県羽生市神社

歴史

文禄年間(1592年 - 1596年)に創建された。天正年間(1573年 - 1592年)に発生した会の川洪水により壊滅状態になったが、文禄年間に復興して村を再建、鎮守として祀ったのが当社の由来である。「宝珠坊」が別当寺であった。宝珠坊は修験道の寺院であったが、1699年元禄12年)に「小松寺」が引き継いだ。小松寺は小松神社の隣にあった寺院であったが、明治初期の神仏分離により、廃寺に追い込まれた。一方、江戸時代後期の地誌新編武蔵風土記稿』では、島山寺が別当寺となっており、実際に「嘉永三年(1850年)」の社殿建立を記した棟札には、島山寺の名が記されている。この年に別の場所から現在地に移転している[1]

1872年(明治5年)、近代社格制度に基づく「村社」に列せられ、1907年(明治40年)の神社合祀により、「天神社」「稲荷社」が合祀された。ただし、稲荷社については怪奇現象が起きたことから、祟りを恐れて元に戻されている[1]

交通アクセス

脚注

  1. ^ a b 埼玉県神社庁神社調査団 編『埼玉の神社 入間・北埼玉・秩父』埼玉県神社庁、1986年、936-937p

参考文献

  • 埼玉県神社庁神社調査団 編『埼玉の神社 入間・北埼玉・秩父』埼玉県神社庁、1986年



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