愛国主義・エルベ特攻隊
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1944年11月にヒトラーや幹部たちは、ソ連軍の反撃を受け、「ワシの巣(アドラー・ホルスト)」へ撤収していた。そうした勇ましいコードネームに反して、戦況は不安定だった。この状況下でヘルマンは、ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング国家元帥に対し、「日本はカミカゼを実行して米軍を震え上がらせている」等と説明し、体当たり作戦を提案した。ヘルマンは、日本人に張り合えるような「愛国心」を重視していた。ヘルマンは「究極の覚悟なくば、この戦いは敗れるであろう」という一文を記した作戦計画書をゲーリングへ提出し、それを承認したゲーリングは、総統官邸を訪問した。ヒトラーは この体当たり攻撃に臨むだろう兵士たちのことを、私は実に偉大だと尊敬する。 と述べた。しかしヒトラーは命令を下すことは避け、あくまでも隊員の「自由意思」だと強調した。 ほどなく、特攻の命令文は成文にされた。しかし成文には、原文にあった「この重大な作戦の遂行にあたり、私(ゲーリング)は諸君らと相まみえ、言葉を交わすつもりである」という一文が欠けていた。ナチス・ドイツのナンバーツーであり、空軍の最高責任者であるゲーリングが自ら部隊を訪ねて激励するはずだったが、その一文は命令が成文化される前に、ゲーリングが削除していた。隊員を避けるゲーリングにヘルマンは、体軀に似合わないゲーリングの「小ささ」を感じたという。
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