愛国会主席への就任
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/26 07:28 UTC 版)
1998年から、傅鉄山は全国人民代表大会常務委員会委員、教育科学文化衛生委員会委員、中国天主教愛国会主席、中国天主教司教団副主席、北京市天主教愛国会主席、教務委員会主席、北京教区司教、中国国際交流協会副会長、北京市政協副主席を務めた。 2000年に中国の宗教指導者代表団の団長として、アメリカのニューヨークで開催されたミレニアム国際平和サミットに参加した。その際に、ダライ・ラマを厳しく責め、幾つかの国家を名指しして、中国の内政に干渉しようとしていると非難した。同じ年には、バチカンが120人の中国及び外国の殉教者を列聖したことを非難した。彼は、外国人殉教者は“植民地主義の道具”であり、教皇ヨハネ・パウロ2世がバチカンのサンピエトロ広場で列聖式を行ったことを“容認出来ない”と指摘した。 2003年3月、第十回全国人民代表大会一次会議で、第十回全国人民代表大会常務委員会副委員長に当選した。
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