怪物ウスケ
日本のウイスキーの父は、サントリーの創業者・鳥井信治郎。1923年、山崎蒸溜所が誕生し、大麦が運び込まれ、キルンからピートの煙がたなびき始めました。蒸溜されたウイスキーは樽に詰められ、貯蔵所へ。1年、2年、3年…製品らしきものが何ひとつ出て来ない工場を村人たちは怪しみ、「麦を喰うウスケという化け物が棲んどるそうな」と噂したそうです。待望の国産ウイスキー第1号「サントリーウイスキー白札」が世に出たのは1929年(昭和4)。しかし、信治郎は満足しません。原酒をきき酒し、仕込みを変え、また熟成を待ってきき酒し、ブレンドを試み…怪物ウスケと格闘を続けます。ついに会心のブレンドが完成したのは、1937年(昭和12)のことでした。グラスに輝く琥珀色の液体は、まさに日本の風土に育まれ、日本人の繊細な感性に応える美酒でした。「サントリー角瓶」の誕生です。それから「オールド」が、そして「ローヤル」が生まれ、今日のサントリーウイスキーの基礎が築かれたのです。 |
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