思想啓蒙活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 07:29 UTC 版)
「東亜新秩序の確立は、やがて全亜細亜復興の魁である。全亜細亜復興は、取りも直さず世界維新の実現である」と主張。また、自らが主張する南進論を実地踏査により実証的に裏付けるために明治42年6月から9月にかけて行った、南洋視察旅行の紀行文『南国紀』を発刊。内容は、北進政策(北進論)を非難し、渡航先の地誌、各国の植民政策の比較、日本の南進政策への提言などを詳述する政治的論説とも言うべきもので、発刊後、評判となり、版を重ねた。竹越はこの書物において主張して、「南人」たる日本人の北進は日本民族の使命であり、日本の歴史的約束であると説き、「南はもとより無人の地ではなく、無支配の土地ではない」が、侵略から解放へという「王者の道」を採ることでそれは果たされるであろうとしている。また、そもそも全亜細亜を支配していた大和民族は「亜細亜大陸回復の遣伝性」を保持してきており、内田良平と共にアジア各地に日本民族と日本文化の起源を求めたその手法を用いながら、そもそも亜細亜全体が日本の引き写しであったのだと議論全体を逆転させてみせたりもした。他にも日本人とユダヤ人を同一の祖先からでたとする「ユダヤ同種同祖論(日ユ同祖論)」俗説の形成にも言及。これは、木村鷹太郎や石川三四郎も種々に論じている。
※この「思想啓蒙活動」の解説は、「竹越與三郎」の解説の一部です。
「思想啓蒙活動」を含む「竹越與三郎」の記事については、「竹越與三郎」の概要を参照ください。
- 思想啓蒙活動のページへのリンク