志那禰祭
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志那禰祭(しなねまつり)は、毎年8月24日から翌8月25日にかけて行われる夏祭である。24日は宵祭り(前夜祭)で、25日に本祭が行われる。本祭では祭のクライマックスとして、漁船3隻に神輿を乗せ供船として漁船20を従え大漁旗をなびかせて海上を船渡御が行われる。
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志那禰祭
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/08 00:29 UTC 版)
8月24日・25日に行われる例祭(最も重要な祭)で、「土佐三大祭」の1つに数えられる。古くは旧暦7月3日に行われていた。「しなね」の語源は、風神の「シナツヒコ(級長津彦神/志那都比古神)」に基づくとする説、新稲祭(新嘗祭)の「新稲」の転訛とする説など諸説がある。志那禰祭は天平宝字3年(759年)に始まるといい、別名を「御船遊び」といって古代には鳴無神社(須崎市浦ノ内東分)まで御座船で海上神幸を行なったとされる。この海上神幸の存在から、土佐神社が古くは水上交通を掌握していたとする説もある。しかし海難や赤木山(現・青龍寺)の山犬に襲われることがあったので、五台山北麓に御旅所(現・土佐神社離宮:小一宮)を建てて、そこまでを船渡御にして変わったという。その渡御も、明治13年(1880年)に建てられた現在の一本松御旅所までの徒歩神幸と改まり、現在に至っている。 今日の祭礼は、8月24日早朝の忌火祭で鑽火を篝松明に移すに始まり、夜に宵宮祭を行う。この松明の火については、参詣者が持ち帰ると落雷から免れるという信仰(火雷信仰)がある。翌25日には午前にしなね祭を行い、午後3時頃からは神幸祭として、神輿を始め宮司・権禰宜・神馬・氏子総代・楽人らの行列が御旅所まで渡る。この神幸では鯰尾鉾(太郎鉾)を始めとする青銅鉾12振が加わり、また昔の名残で昼でも松明を焚き、犬吠えを行う。御旅所では祭礼や神饌献上を行い、終わると本殿に還御し還御祭を行なって祭りを終える。
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