志那禰祭とは? わかりやすく解説

志那禰祭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 23:42 UTC 版)

鳴無神社」の記事における「志那禰祭」の解説

志那禰祭(しなねまつり)は、毎年8月24日から翌8月25日にかけて行われる夏祭である。24日宵祭り前夜祭)で、25日本祭が行われる。本祭では祭のクライマックスとして、漁船3隻に神輿乗せ供船として漁船20従え大漁旗なびかせ海上船渡御が行われる。

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志那禰祭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/08 00:29 UTC 版)

土佐神社」の記事における「志那禰祭」の解説

8月24日25日行われる例祭(最も重要な祭)で、「土佐三大祭」の1つ数えられる古く旧暦7月3日行われていた。「しなね」の語源は、風神の「シナツヒコ級長彦神/志那都比古神)」に基づくとする説、新稲祭(新嘗祭)の「新稲」の転訛とする説など諸説がある。志那禰祭は天平宝字3年759年)に始まるといい、別名を「御船遊びといって古代には鳴無神社須崎市浦ノ内東分)まで御座船海上神幸行なったとされる。この海上神幸存在から、土佐神社古く水上交通掌握してたとする説もある。しかし海難赤木山(現・青龍寺)の山犬襲われることがあったので、五台山北麓御旅所(現・土佐神社離宮小一宮)を建ててそこまで船渡御にして変わったという。その渡御も、明治13年1880年)に建てられ現在の一本松御旅所までの徒歩神幸と改まり、現在に至っている。 今日祭礼は、8月24日早朝忌火祭で鑽火を篝松明に移すに始まり夜に宵宮祭を行う。この松明の火については、参詣者が持ち帰る落雷から免れるという信仰火雷信仰)がある。翌25日には午前にしなね祭を行い午後3時頃からは神幸祭として、神輿始め宮司権禰宜神馬氏子総代楽人らの行列御旅所まで渡る。この神幸では尾鉾(太郎鉾)を始めとする青銅12振が加わり、また昔の名残で昼でも松明焚き犬吠えを行う。御旅所では祭礼神饌献上行い、終わると本殿還御還御祭行なって祭り終える。

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