徳川氏創業史への登場(1616〜1648年)
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江戸初期は徳川氏創業史が流行した時代で、村正と特に関わりがあるものに『三河物語』(1626年)と『松平記』(1600年代前半〜1638年ごろ)がある。 大久保忠教(彦左衛門)の『三河物語』が最も古く、家康の祖父の清康が、家臣の弥七郎(阿部正豊)に村正で殺された(森山崩れ)という話を載せている。信憑性について、『三河物語』は自筆本が残存していることから偽書でなく真作なのは確実であり、また、著者忠教の父大久保忠員は、事件当時、清康に家臣として仕えていた。 著者不明の『松平記』は、家康の祖父が村正で弑逆されたことに加えて、父の広忠が片目八弥という男に村正で刺されたことを記している(死亡はしていない)。八弥伝説は文献ごとに大きく違いがあり非常に錯綜している(#『松平記』)。 『三河物語』『松平記』も、日本の史料でよくあるようにただ使用された武器の刀工の名を出しただけに過ぎず、どちらの話でも、特に妖刀として扱われてはいない。佐野美術館館長渡邉妙子は、三河武士は村正をこぞって入手しようとしたのだから、家康周辺の事件に村正が出てくるのに不思議はない、と説明している。
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