従軍記者・吉川英治
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「三国志 (吉川英治)」の記事における「従軍記者・吉川英治」の解説
幼少時から三国志好きであった吉川英治にとって、自ら三国志ものを執筆する契機となったのは昭和12年(1937年)7月に勃発した日中戦争(支那事変)である。開戦翌月に吉川は東京日日新聞(現毎日新聞)の特派員として天津・北京などを歴訪した。帰国後離婚・再婚を挟み、翌年には再び「ペンの部隊」として中支那派遣軍に従軍し、長江を溯り、漢口作戦に従うなど、再度中国各地を旅歩いた。このときに大陸の巨大な風土と悠久の歴史の流れに胸を打たれた吉川は、三国志執筆への意欲をかき立てられていく。これらの体験は、本文冒頭の黄河の流れの描写などにも生かされている。 なお、吉川英治は原典である『三国志演義』のみを原作として執筆したのではなく湖南文山の『通俗三国志』を元に執筆していると思われる。なお、『通俗三国志』は今日知られている原典の『三国志演義』ではなく、それよりも古い形態である所謂"李卓吾評本系"を底本としたと考えられており、原典にはないエピソードの中には現在の原典では削除された古い形態の流れを汲むもの(吉川の創作ではない)部分も存在している。 「三国志演義の成立史」も参照
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