弟の死と思想形成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/18 04:33 UTC 版)
「ジッドゥ・クリシュナムルティ」の記事における「弟の死と思想形成」の解説
ニトヤナンダの健康は回復せず、クリシュナムルティは苦楽を共にし、深い絆で結ばれた弟の回復を霊的マスターたち(のヴィジョン)に願い、良くなると言われたと感じ、安堵した。しかし、アルンデールがマスターが弟の全快を保証したと伝えた直後に、1925年に27歳で死去した。クリシュナムルティは、今となっては自分と子供時代をつなぐ唯一で、忌憚なく話せるただ一人を失い、その孤独は決定的なものになった。小林一正は、クリシュナムルティは悲しみの中で現実に直面し、立ち直った時には彼の思想は変わっていたと述べている。ピーター・ワシントンは、弟の死でアルンデールに対する不信感と、マスターは神智学で言われているようなものではないという疑念を強くしたが、この世に霊的な力があり自分は選ばれているという確信が揺らぐことはなく、自身の宿命に対する確信を強め、神智学と距離を取ることを加速させたと述べている。 1925~29年に、彼の教えはメシアを待望する信者たちの考えに異を唱えるようなものになり、1927年中頃には現在知られるクリシュナムルティの思想が形作られた。弟の死以降、マスターたちを実体ある存在として語ることはなくなり、神智学協会の権威も、教義も、秘教的な方法も認めず、自由を求め、自由について語るようになっていた。この時期に達した境地を、彼自身は「解放」「融合」と表現している。「解放」の結果として「融合」がもたらされ、条件付けからの解放、伝統の否定が説かれるようになった。
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