弟に敗北、晩年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/01/11 17:48 UTC 版)
1943年(民国32年)の年末に、馬歩芳は第40集団軍総司令に、馬歩青は同副総司令に任ぜられた。このとき、馬歩青の騎兵第5軍を奪い取ろうと目論んでいた馬歩芳は、騎兵第5軍副軍長の馬呈祥を同軍軍長に昇進させ、馬歩青の同軍に対する指揮権を剥奪してしまう。翌年には、馬歩青は失脚に追い込まれ、1945年(民国34年)に蒙蔵委員会委員に任ぜられたものの、政治的・軍事的実力は完全に喪失した。 その後の馬歩青は故郷に引退し、これまで蓄えた巨額の富で豪奢な生活を送ることになる。しかし国共内戦終盤に、青海省が中国人民解放軍に制圧されそうになると、馬歩青は香港経由で台湾へ逃亡した。台湾では、国防部中将参議、総統府国策顧問、中国国民党第10期中央評議委員を歴任している。 1977年(民国66年)2月9日、台北市で病没。享年80。
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