弟ヘンリーを支える
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 15:58 UTC 版)
「トマス・ペラム=ホリス (初代ニューカッスル公爵)」の記事における「弟ヘンリーを支える」の解説
1743年にウィルミントン伯爵が病死すると、弟ヘンリー・ペラムが首相となる。ニューカッスル公は引き続き南部担当国務大臣として残留し、弟の政権を支えた。 オーストリア継承戦争をめぐって親ハノーファー政策を主張するカートレット男爵(1744年、グランヴィル伯爵を継承)とそれに反対するペラム兄弟の対立が深刻化し、ペラム兄弟は1744年にグランヴィル伯爵更迭を求める上奏文を国王ジョージ2世に提出した。国王はグランヴィル伯爵の更迭を避けたがっていたが、ペラム兄弟の意思が固いと知ると、しぶしぶグランヴィル伯爵を辞職させた。 1748年には北部担当国務大臣に転じている。同年、アーヘンの和約が締結され、オーストリア継承戦争が終結した。ペラムは戦時財政解除を目指して、海軍縮小、土地税率軽減、国債統一、国債利子率上昇などの改革を開始した。ニューカッスル公がその先頭に立ち、改革に反対する閣僚と衝突するようになり、1751年6月には最も鋭く対立したベッドフォード公爵を内閣から追い出すことに貢献した。ベッドフォード公爵が内閣を去った後にはペラム兄弟の権勢を脅かす者はなくなった。 1749年10月26日、王立協会フェローに選出された。
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