弟・吉永伊平の改良
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 02:33 UTC 版)
明治初年に入ると藩政府の贅沢禁止令(ぜいたくきんしれい)が解かれ、一般庶民の生活様式における諸制限が撤廃されたために、福島提灯に対する需要が急速に伸びる条件が生まれた。この情勢に対応するために吉永太平の弟、伊平(いへい)が早描きの描画法を応用して、大いに製造時間と価格を低減することに成功した。これが福島提灯における第二次改良の端緒といわれている。また形状・絵画・付属品等も年を追って工夫改良を施したので各地の需要も急速に増加し、更に販路を拡大する為に一部はアメリカ・イギリス・香港・英領インド等の海外にも輸出されるようになった。そして遂に重要物産として世の称賛を博するまでに至った。
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